発達凸凹(でこぼこ)的な消費生活

~発達障害サラリーマンの家計奮闘人生記です~

診断が下りた、それともグレーゾーン?

診断が下りる人とグレーゾーンの人、それは社会が決める

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仕事や社会に疲れ切って、出来ない自分を責めたまま、病院を駆け込み寺として使う。

発達障害を疑った人は、そのような経験があるだろう。

 

診断が下りるもの、下りないものたくさんいる。

前者は生きづらさの理由が分かりほっとする者もいれば、診断が降りて複雑な気持ちになったものもいるだろう。

後者は今までの自分の生きづらさはやはり自分が怠けていたのだろうかと思い絶望的な気持ちになる人もいれば、障害者ではないとして安心する人もいるだろう。

 

診断には科学的根拠がないので神のみぞ、いや医者のみぞ知るといったところなのが現状である。

 

定型発達に知って欲しい発達障害
  • 診断を受ける病院は精神科、神経科などになる
  • 心療内科などの主治医から総合病院、大学病院に紹介状を書いてもらうことが多い
  • 臨床心理士による知能検査と幼少期や現在の行動診断があり、その結果を総合的に判断して診断される

 

発達障害の診断には、科学的根拠があるわけではない。

 

手帳を取得するということで就職の幅が広がるのはそうかもしれない。

そもそも診断を受ける時点が、発達障害の疑いがある人の人生のどん底のタイミングだと思う。社会生活に疲れ、自分を責め続け、駆け込み寺として診断に踏み切るのである。

 

そんな時には、藁にもすがる思いになるものだ。

そんな体調も悪く、精神状況も最悪の時に、

今後の生活のことは考えられるはずもない。

 

職業生活であれば、障害者雇用で行こうか、そのまま一般就労で行こうか、

診断が下りない人は、このまま死ぬ気で頑張っていくしかないのかとか、職を変えようとか、そんな大事な決断を決められるはずがない。

 

普通の病院なら、診断が下りたら治療になるのだが、

別に薬を飲むからと言って治るものではない。

 


 でも確実に言えるのは、診断された人もそうでない人も、治療が必要なのだ。

ここでの治療は体調を回復させて、発達障害なんて微塵も感じなかった時の本来の自分に戻るという治療だ。それには時間がかかるだろう。

 

  

発達障害の診断は、科学的な診断方法があるわけではないし、その治療法があるわけではないので、「社会が決める」というのが何となくしっくりくる。

 

筆者の診断の際も、「社会生活に適合できてきたかどうかの度合いで判断する」と言っていた。どんな生きづらさを抱えて生きてきたかどうかということである。

 

 

 

これは筆者の持論だが、手帳を取得して、それを職業選択の内の1つと捉えることを除外して話せば、正直診断が下りようと下りまいと正直どちらでもいい気がする。

 

診断が下りようと下りまいと絶望する必要はない。

 

発達障害のことを考えられた時点で、同じ境遇の仲間と苦楽を話したり、自分の将来について考えたりする機会と権利を得られたのである。

 

そもそも人間は見た目が同じだけで、一人一人は全く種類の違う動物なのだ。

草食動物が生肉を食べられないからと言って、「こいつはおかしい、病院へ行ってこい」とならないだろう。「自分を責めて、生肉を食べるように努力する必要もないし、生肉を食べる人と混じって生活する必要もない」

 

生肉を食べなくても良い生き方、生肉を食べることを必要とされない組織で生きていくための方法を考える。これが治療である。

 

※障害者手帳を取得して障害者就労をしても、それは1つの通過点に過ぎないのは良く感じている。給与も低いのは確かだし、仕事内容もハードであり、こんな生活は続かないだろうし、今後の将来も描きにくい。だから、結局は障害者雇用であろうとそうでなくても自分の将来を描ける働き方・生き方を模索していく必要があるのは変わらない。いや、障害の有無は関係ない。全ての人が考えなければならないことなのだ。

 

だから診断を受けようが受けまいが、長いスパンで考えればどうでもいいのだ。

80歳まで働かされようとしている世の中なのだから。

 

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