発達凸凹(でこぼこ)的な消費生活

~発達障害サラリーマンの家計奮闘人生記です~

こたつの上のみかんに見る多様性

みかんに見る多様性

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冬はこたつにみかんが風物詩となっているが、みかんを食べながら思ったことをふと日記に書いてみた。

 

机の上には数々のみかんが並べられているだが、みんな色も形も違う。てかてかしたもの、鮮やかな色をしたもの、黒い斑点がついたもの、葉っぱがついたもの、同じみかんでもいろいろなみかんがある。

 

いざ皮をむいてみると、皮が薄いもの、硬いもの、白いくだが多いもの、少ないもの、皮が向きやすいものがあり全然違う。

 

そして食べるとなると、甘いもの、酸っぱいもの、腐ったものと味は様々なのである。

 

だけれども、食べる人はみんなそれをみかんと認識して、差別や軽蔑することなく、みかんとして受け入れるのである。みかんにはそれぞれ個性があることを知っているのである。

だから、人体に害を与えない限り(腐ってない限り)それぞれの味を楽しむのである。

なかなかのエンターテイナーである。

 

ところが人間はどうだろうか?

人間にはいろいろな個性があるはずなのに、みんな人間だからこんな事が出来て当然。こんな能力があって当然。こんな価値観があって当然。と勝手に思い込んでいる。

そこでちょっと変わったやつがいるとそれを徹底的に排除しようとする。

皮をむくまでもなく、ごみ箱に捨ててしまうのである。みかんと認識されればまだいい。みかんとも認識されず、その個性を楽しもうともしないのである。

 

 

 

 

なぜ人は人に対して評価が厳しいのだろうか?

人が生き残ろうとする競争本能だろうか?

みんなが個性を受け入れ多様性を受け入れない限り、世の中の暮らしが全く良くならないことになぜ人は気付かないだろうか?

 

みんなが好きなみかんに願いを托すのである。