発達凸凹(でこぼこ)的な消費生活

~発達障害サラリーマンの家計奮闘人生記です~

サラリーマンは向いていない?

 

得意・不得意を理解して生きていくということ

みさと公園から見た対岸

 

普段は貧乏を助ける家計について書いているのだが、少し休憩して、ストレートな話題を書くとしよう。

 

社会人になってから仕事について行けず、発達障害だとわかる人は多くいるように思う。

 

発達障害は得意なことと不得意なことが極端にかけ離れていて、苦手なことを駆使した生活だとうまくいかない。

 

ゆえに発達障害は適職についていない故に生まれてくるもののように思うことがよくある。

 

「受験を戦い抜き、良い大学に入り、良い企業に入る」。

 

「これが一番の安泰な生活であり幸せなことである」というような幻想が、自分の幸せを自分でつかむ能力を養えなくさせているように思う。

 

受験勉強では教科上の得意、苦手はわかっても、社会で生きていくための、得意なこと、苦手なことはわからないのだ。自分の能力をどのように生かし、それを社会に役立てていくのかを考える時間がないのだ。大学に入ったころには、受験から解放され、社会人になって出ていくための準備どころか、社会人になるまでの自由時間となって、遊びほうける人も多い。

 

そこで自分の将来の生き方を学べる人はいい。遊びながらも、社会に必要な力を身に着けられる人は幸運だろう。

 

だが、高校卒業時に、自分の人生を切り開いていいく術を身につけている人は少ない。というか、勉強ばかりでそのような訓練をしてこなかったのだ。

 

そこで就職活動の壁にぶち当たり、自分のやりたい事、適性がわからずに、何となく就職する人が多いのだ。

 

自分の得意なこと、不得意なことに大きな隔たりがあることに気付かず、就職した者は、仕事について行けず、身体的、精神的な症状が現れ、発達障害と診断されていく。

 

仮に発達障害があったとしても、幸運なことに、若いうちに、自分のやりたい事、適性に目を向けて歩んできた人は、何の問題もなく、職業生活あるいは日常生活を送れているのではないか。

 

 

 

はっきりいって、ホワイトカラーのサラリーマンは得意なことと不得意なことの隔たりが大きいものにとっては最も不適な職業だと思う。

 

組織の中でバランスの取れた平均的な能力を持っている人が最も向いている職業がサラリーマンであるように思う。なぜなら、仕事内容が多岐にわたるからである。「あれもやれこれもやれ。」部署移動もあれば転勤もある。

ある分野で突出した能力を持っている人より、何でもそつなくできる人の方が長くやっていけるような仕組みになっているのである。

「それでは組織は駄目になる」というのは別の議論でしたいのだが、発達障害が生まれたのは社会の仕組みによるものが大いにあると言いたかったのである。

 

 

しかし、それでもサラリーマンとして働く人の力になれればと思って書いている。

 

その中でもいろいろと経験することは多いのだ。

苦手なことに立ち向かって克服しようとしている人を誰も笑うことはできない。

たとえ仕事の評価は低くても、適当にその場しのぎでうまく生きている人なんかよりもよっぽど素晴らしい生き方をしていると思う。

 

その努力を見ている人は見ている。

そのように応援してくれる人を増やしていければいい。

 

今後は、私たちが大切なことを教える番が増えてくる日が来ると思う。